絶対に読むべき!おすすめの純文学小説10選【小説家が好きになる!】

純文学小説というと、ちょっと取っ付き難い感じがしますよね。
しかも、何が純文学で何が純文学ではないのかと言われると、かなりの人が脱落してしまうのではないでしょうか。
そう・・・純文学小説って、結構難しいものであることは間違いないんですよね。
でも、純文学がしっかりと読めるようになれば大抵の小説は読めますし、なにより純文学には後世に残る名作・傑作も多く、かなり感動的な読書体験が待っています。
というわけで、ここでは純文学のおすすめ小説をお伝えします。
1作家1作品でご紹介しますね。

純文学とは?純文学ってなんだ?

純文学を紹介する前に、純文学が何なのか知らないと難しいですよね。
基本的に純文学というのは大衆文学の対局にあるもので、面白さより芸術性に重きをおいた小説という感じの認識でOKです。
作家それぞれが持つ個性や美的感覚を元に、その美しさを競っているのが純文学と言ってもいいでしょう。
ちなみの、直木賞が大衆文学で芥川賞が純文学ですね、ざっくりとですが。

1|こころ(著者:夏目漱石/青空文庫)

純文学の世界でも、読みやすさにおいては文豪クラスではピカイチな作家夏目漱石。
多様性に富んだ文章表現と日本人的ではない、どこか西洋の趣を感じるユーモアのセンスのおかげで明治期の純文学の中では最も大衆文学に近づいた作品を数多く残しました。
しかし、その文体は実はセンスあふれる芸術性の高いもので、キラリと光る短いセンテンスが特徴的です。
ここで紹介するのは、そんな漱石先生の後期3部作の一つ「こころ」です。
主人公K視点で書かれる純然たる恋愛小説なのですが、そこにあるのは人間の業と繊細な精神に宿る小さな光のようなもの。
一般に純文学に面白い物語は必要ないと言われますが、そんなことはなくストーリーも間違いなく面白い、まさに純文学の導入として読むには最適の作品です。
登場人物も少ないですし、小難しい表現も少なく本当に読みやすいのが特徴。
基本的に、鑑賞する要素の高い純文学の文体の中にあって、物語の小道具としてしっかりと芸術性を維持できるその筆力は、圧巻です。

2|金閣寺(著者:三島由紀夫/新潮社)

日本における世界的に有名な純文学者といえば、三島由紀夫で決まりです。
その絢爛豪華でそれでいて細部にまでしっかりと意識の行き届いた、高い美意識と自意識が溢れ出してくる文章は、日本語を最もうまくつかってできた彫刻のように感じます。
三島文学の特徴はとにかく日本語を使うという技術において最高峰であるということ。
日本語という言語の美しさにとらわれた三島のその文章は、まるで刀を研ぐかのように丁寧に研ぎ澄まされ、そして鋭く先鋭化していく美の表現媒体。
中でも、ご紹介する金閣寺という作品は、そんな三島文学の中でも最高峰と言っていい作品です。
金閣寺の美しさにとらわれていく溝口という青年の視点から、その偏執的な美への愛情を表現していく中で、三島のやはり偏執的とも言える美しい文章がピタリとハマった傑作です。
実際に起った金閣寺放火事件に題材を得ていることもあって、その内容は、リアリティに溢れ、ぐっと心に迫ってくるものがあります。
美や正義と言ったものに対し、少年のように純粋だった三島由紀夫という男のリアルがそこにはあるのです。

3|銀河鉄道の夜(著者:宮沢賢治/青空文庫)

文章で表現される絵画のような描写といえば、宮沢賢治。
まるで星のきらめきのように、多彩な文章表現で浮かび上がる美しくも広大な世界観は、彼の世界観を存分に表現していながらも、読み手の想像力に大きな余白を残してくれています。
そう、宮沢賢治の文章は大きな想像のステージを与えてくれる、そんな懐の広さがあるのです。
中でもこの銀河鉄道の夜は、まさに銀河の輝きと広大さを宿した傑作中の傑作です。
もう、とにかく文章が美しい。
きらめく夜空の星、列車の車窓から見える世界、そして主人公や登場人物の心に浮かび上がる様々な思いたちが光をはなつように感じられるのです。
そして、そこには、決してすべてを説明してはくれない不思議で奥深い物語が。
あの表現はなにを指しているのか、この物語はなにを言いたいのか、なぜこんな物悲しさを感じてしまうのか。
宮沢賢治の博愛主義に満ちたその作品には、小説の解釈に正解が存在しないということを教えてくれている。そんな気さえする作品です。

4|人間失格(著者:太宰治/小学館)

人間の弱さ、卑怯さ、そして矮小さをえぐり取るようにさらして見せてくれる作家。それが太宰治。
とくに、今回紹介する人間失格などは、壮大なテーマと言うよりもむしろ本当に細かいことでうじうじと悩んでしまう人間の弱さをこれでもかと解剖して目の前に突きつけてくる意地の悪い作品。
と、書くと、とても読みたい文章ではない気がしますが、実はここからが太宰の魅力。
特に今回ご紹介する人間失格においてはそれが顕著で、太宰治の文学の一番の特徴は、それでもどこか憎めない世界観を作らせたらピカイチだということですね。
変な話、ダメ男はモテるの法則といいましょうか。
とにかく、この作品自体、普通の人が書いたらただただ陰鬱でイライラしてしまいそうな内容にもかかわらず、その読了感はなんと言えぬ愛嬌と愛着を感じるのですから不思議です。
太宰自身、相当女性にモテたらしいのですが、この人間失格を読めばたしかにな、と言った感じ。
そして、最後にこう思います。
でも、だからこそ、人間という生き物は美しいのかもしれないな、と。だからこそ語り継がれる名作なのです。

5|風の歌を聴け(著者:村上春樹/講談社)

もはや、世界一有名なノーベル文学賞候補と言っても過言ではない村上春樹
文章の芸術性を感じる作品こそが純文学というのであれば、まさにこの村上春樹の文章はポップアートに近い洒脱で軽快な文章によって作り出される世界。
どことなく非日常を感じる会話、どこまでもハイセンスに流れていく時間と描写。
いまでこそ意識高い系などという言葉がありますが、ある意味この村上作品こそ元祖意識高い系かもしれません。
作品の端々に登場する、まさに言い得て妙と言うべき比喩表現は、その言葉のチョイスから本当におしゃれで特徴的でポスター感覚。
この風の歌を聴けにおいてもその特徴は存分に発揮されていて、すっと心にはいってきます。
このキャッチーでシンプルで、そしておしゃれでかっこいい文章だからこそ、村上春樹の作品は純文学でもあり大衆文学でもあるという二面性を保持できているのです。
ハルキストになるのは、以外に簡単。そう思わせる読みやすさです。

6|コンビニ人間(著者:村田沙耶香/文藝春秋)

芥川賞をとった意地点で間違いなく純文学にカテゴライズされる作品。
なのですが、その文章の内容といえばまさに大衆文学のそれで、芸術性を求める純文学の香りは遠く感じないと思っていまいがちな作品。
しかし、その後感で感じる文章は、まさに純文学の目指す表現の奥行きをしっかりと感じさせてくれる、そんな作品です。
それでいて、とにかく大衆文学並みに読みやすくて内容もエンタメに傾いている。
小説の宿命として、それが商業作品である以上は売れなければ話にならないわけで、いくら高度な純文学でも面白くなければそれは売れません。
それは、数多くのエンタメにあふれる現代でも同じことで、そのせいで純文学の売れ行きはずっと低迷していました。
そこに現れたのがこのコンビニ人間。
純文学と称されるにふさわしい、奥行きのある文章をしっかりと提示しながらも、人間の心の奥底にある共感力を引き出してエンタメ的な面白さをぐっと持ち上げてくる。
だからこそ、まさに商業ベースで成功できる純文学と言える、作品です。
まさに、絶妙にして奇妙なバランスの上に成り立った21世紀の売れる純文学といっていいでしょう。

7|火花(著者:又吉直樹/文藝春秋)

芥川賞をとった、今の時代の売れる純文学といえば、忘れてはならないのがこの火花。
さすがはお笑い芸人が書くお笑い芸人のストーリーと言うだけあって、物語の内容はかなり強めにエンタメ色がでていて、売れるのも当然だと思わせる面白さ。
しかし、又吉直樹の作品に関しては、そこに強烈な純文学臭がするというのが大きな特徴です。
それが褒め言葉になるのかどうかは微妙ですが、又吉直樹の作品はまるでエンタメ小説をどうやったら純文学にできるのか?という命題に挑んでいるような感触なんですね。
エンタメが好きで好きで仕方のないお笑い芸人の一面と、子供の頃から太宰に憧れて生きてきた又吉直樹という人間そのものと言ってもいいのですが、まさにエンタメと純文学のマリアージュ探し。
その言葉遣いのそこかしこに、あふれるほどの純文学への憧憬を感じる文章です。
またこの作品の特徴として、関西弁を基軸にした純文学。と言う新しい試みがなされているという点の大きなポイントです。
新しい純文学を目指して常に挑む作家。
又吉直樹とはそう言う人物なのかもしれない、そう思わせる怪作です。

8|伊豆の踊子(著者:川端康成/角川文庫)

言わずとしれたノーベル文学賞作家、川端康成の伊豆の踊子。
川端康成という作家を表現する時に、個人的にさり気ない美しさの表現がとても巧みな作家だ、と思っています。
それは言い換えれば極めて日本的な、まさに水墨画のような表現。
特にこの伊豆の踊子と雪国という川端康成の代表作に登場する表現は、幽玄にして印象の強い墨絵の一服の掛け軸のような美しさにあふれています。
そして、対比的に、そこに描かれるのは生の人間の情愛。
そこには、生臭い人間の匂いが漂っているかのように、人間の美も醜もしっかりと描き出しているのですが、文体の美しさがそれをうまく包み込んで、幽玄な美しさの中に閉じ込めてくれる。
だからこそ余計に、その怪しさの中に人間の本質を見ることができる、そんな作風です。
この作品も、まるで絵画をじっと眺めているような、旅行絵巻を紐解いているかのような錯覚にとらわれる作品。
長さは中編程度ですが、内容のこさは言う馬でもありません。

9|細雪(著者:谷崎潤一郎/角川文庫)

女性という一つの難題に挑み続けた作家、谷崎潤一郎。
彼の作品に漂うのは、男として思う女性のあり方とその真実、そしてその女という性に対して感じる嫌悪と賛美、卑下と崇拝の二面性です。
他の作品においては、徹底した性への探求を試みたり快楽への系統を強めたりと、とにかく女性への並々ならなぬ情愛に満ち溢れているのです。
そして、それをよりリアリスティックに描き出す、完璧とも言えるバランスの文章。
難しい比喩や観念的な物言いではなく、計算され尽くした調和の美の中に存在する谷崎文学の芸術性は、華美でも豪奢でもなく、また哲学的でもないある意味実用の美そのもの。
場面を描き出し、心情を描写し、そして物語を進めていく上でこう在るべきを極限まで追求したその飾り気ない美しさは、読みやすさを超えた文章の持つ伝達力の極致。
この細雪においても、登場する女性の心理をしっかりとえぐり出してみせる解剖所見のようでもある文章。
しかも、きっと谷崎本人はシャレ好きのユーモアな人なんだろうなと思わせる、驚きのラストは必見。
感服の一冊です。

10|羅生門(著者:芥川龍之介/青空文庫)

最後は、もちろんこの人、日本純文学の代名詞にして巨魁、芥川龍之介です。
完璧を求め、そして極限まで研ぎ澄ましていく文体と、どこか儚げで人間性のぬくもりを感じない、精緻なガラス細工のような表現。
強く印象に残るものの深く脳裏に刻まれない。
一読してスパッと鋭い刃物で切られたようなそんな痛みを与えてくれるのに、いつの間にか傷は癒えてしまい傷跡も残さない、そんな芥川の文章。
それはこの、人間の業を描いた羅生門でも同じです。
はっきりって、こういった文体は、人に感動を与える文章としては不適格だと言ってもいいでしょう、しかし、芥川がなぜそうではないのか。
それは、彼の中にある高い美意識とセンス、そして完璧主義の産物である完成された調和が、あまりにも完成品として出来すぎているからにほかなりません。
そう、文章を芸術に高めるのが純文学であるならば、まさに純文学の一つの到達点である、それがこの芥川龍之介の完成された芸術としての文章なのです。
現代、純文学者として最も価値の高い賞ににその名を刻む作家、芥川龍之介。
羅生門という短編においても存分に感じることのできる、その純文学の最高峰を是非体験してほしいですね。

美術館のような作品たち

純文学は芸術。
しかし、絵画や楽曲と言った芸術にたくさんのジャンルがあるように、純文学にもたくさんのカタチと色が作家ごとに存在します。
ですので、ぜひできるだけたくさんの作品に触れて見てください。
きっと、あなたの心の琴線に触れる作品に出会うことができ、そして、あなたにとって最も美しい文学を与えてくれる作家に出会うことができるはずです。

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